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あの頃の夢を乗り越えて - 脚本家・映画監督 井上淳一(S59卒・普)

活躍する卒業生 脚本家・映画監督 井上淳一 映画を志したのは中学三年生の時だった。将来の夢など何もない田舎の優等生は、これじゃただお勉強が出来るだけのアホじゃないかと思い悩むくらいの自意識は持っていた。そんな時に何本かの映画に出逢った。映画が好きになる=映画監督になりたい。単純で短絡的な図式が夢という文字に置き換わるのに時間はかからなかった。滝高校での三年間はほとんど勉強せず、映画三昧で、当然のように浪人。しかし、その夏、人生の大きな転機が訪れた。その日も僕は夏期講習をサボって映画を観ていた。映画が終わると、その映画の監督、若松孝二がフラリと入ってきた。何の告知もない突然の舞台挨拶だった。僕は狂喜した。だって、東京に出て、若松孝二監督率いる若松プロに入る、それが僕の夢だったのだから。当時、若松さんは、性さえ描いていればあとは何をやってもいいという、ある意味、表現の自由を担保されたピンク映画という特異なジャンルで「世界を撃つ」傑作を量産し、若松プロもまた次々と異能の監督を輩出していた。その憧れの若松さんが目の前に立っている。弟子にして下さい、と無謀にも僕は頭を下げた。そういう若いヤツには慣れているのか、東京に来たらなと若松さんは笑った。このまま別れたら、ただの地方の一映画青年と同じなような気がした。見送りに行った名古屋駅のプラットホームから、僕は入場券のまま新幹線に飛び乗った。さすがに若松さんも、コイツは本気だと思ってくれたのだろう、こう言った。「いま浪人してるなら、とりあえず大学に入れ。そしたら、親の金で四年間は遊べる。ウチは金は払わないけど、優秀なヤツは四年ぐらいで監督にしてやっている」と。僕は若松さんの言葉に従った。大学に入り、若松プロに出入りするようになった。大学五年目、24歳の時に『パンツの穴・ムケそでムケないイチゴたち』というオムニバス映画の一本を監督した。しかし、映画の出来は無残の一語に尽きた。己の監督としての才能のなさに絶望した僕は、字なら書けるのではとシナリオライターに転向した。もちろん、字は書けてもシナリオは書けなかった。その時になって、自分は映画がやりたかっただけであって、映画で「何か」をやりたかったわけではないということにようやく気づいた。中学や高校の頃の夢を実現したとよく言われる。そんなことはない。あの頃の甘い夢を捨て、自分は何を表現したいのかと問い直すことによって、僕はなんとかこの世界で生きている。
 昨年、『戦争と一人の女』という映画を挫折以来24年ぶりに監督した。いま初めて、そんな映画の存在を知った方も多いであろう。日本映画は現実よろしく完全な格差社会で、メジャーとインディーズに二極化し、インディーズの大多数は情報の波に埋もれ、人知れず公開され消えていく。僕はまだ世間的には何者でもない。あの頃の甘い夢はまだ遠い。井上淳一という同窓生の名前を見かけたら、是非映画館に足を運んで下さい。

【作品アーカイブ】
脚本作品『止められるか、俺たちを』(2018年)公式サイト
監督作品『憲法くん』(2018年)公式サイト
監督作品『大地を受け継ぐ』(2015年)公式サイト
監督作品『いきもののきろく』(2014年)facebookページ
脚本作品『あいときぼうのまち』(2013年)Yahoo映画
監督作品『戦争と一人の女』(2012年)Yahoo映画
脚本作品『アジアの純真』(2009年)Yahoo映画