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滝学園同窓会オフィシャルサイト

活躍する同窓生に学ぶ:小池利和氏(ブラザー工業株式会社 取締役会長)

活躍する同窓生に学ぶ:小池利和氏(ブラザー工業株式会社 取締役会長)

「僕がやらなきゃ」

―明るく・楽しく・元気に―

ブラザー工業株式会社 取締役会長
小池利和(昭和49年卒)

ブラザー工業株式会社
https://www.brother.co.jp/

どんな学生時代でしたか
 公立高校受験に失敗し、滝高校に入学しました。外普生(高校からの入学組)での1年目は、内普生(中学からの入学組)に追いつくための詰め込み教育が大変でした。さらに担任は青山先生というとても厳しい方でした。しかし怠け者だった自分には厳しい先生が合っていたのか、結果的に大変鍛えられました。部活動は剣道部に所属したものの、当時の剣道部はインターハイに出るくらい強く、用具運びくらいにしかなれませんでした。もっぱら、将棋やプロレスなどに興味関心があり、そちらに熱中していました。それでも勉強には励み、文系で1番か2番の成績だったので、旧帝国大学に行けるものだと思っていましたが、受験は現役と1浪時の2度も失敗してしまい、2浪だけは勘弁してくれと親に言われたため、早稲田に進学することに決めました。
 大学では速記クラブに所属し、3年生のときは幹事長、4年生では、全日本学生速記連盟理事長まで努め、全日本大学速記競技大会で三連覇したことが1番の思い出です。また、大学時代もそれなりに勉強に取り組み、成績は「優」が39個ありましたので、有名な大企業に就職することもできたと思いますが、自分は給料や待遇よりも、早くからビジネス全体を仕切る立場になりたいという思いがあったので、その可能性を感じることができたブラザー工業への入社を決めたのです。

ブラザー工業に入ってからは
 ブラザー工業に入社してみると、人は優しく、とても家庭的で居心地のいい会社でした。一方で、この家庭的な雰囲気に甘えていては、ブラザーの将来を担う人材にはなれないという不安が芽生えてきて、さらに、普通の人とは違う経験をしないと、年功序列からは抜け出せないと考えるようになりました。そんな時、アメリカ市場でのプリンタービジネス開拓にあたり、日本から人を送るという話が持ち上がっていました。これはチャンスだと思い、英語はあまり得意ではないですし、何の勝算もありませんでしたが、アメリカに渡ることを決めました。入社3年目、1981年の秋でした。
 アメリカでは、一軒家を借りて生活とビジネスの拠点にし、レンタカーを借りて、プリンターを買ってくれそうな会社に下手な英語でアポイントを取り、訪問していました。日本から持参したプリンターは、小売価格で1台20万円以上でしたが、印字スピードが3倍速い他社製はブラザーの製品より3倍程度高かったため、安くて良いプリンターだと言って必死に売り込みました。不慣れながらも営業活動を続けているうちに、「買いたい、買いたい」と注文が舞い込んでくるようになり、月3~5億円の売り上げに成長していました。そのうち、入社3年目の若造が何億も稼いだと本社に伝わり、いつの間にか“プリンターの小池”として少しずつ知られていく存在になりました。
 80年代後半から90年代前半はブラザーにとっては厳しい時代でした。レーザープリンターが他社から発売され、既存のプリンターの販売が落ち込み始めました。さらに、タイプライターやワープロの売り上げもPCに押されて落ちていきました。そのような状況でしたが、ラベルライターのピータッチの販売が好調に推移し、撤退の可能性もあったファクスもあきらめずにがんばってやりながらビジネスを維持していました。ファクスは92年に「FAX-600」という399ドルのファクスを発売し、競合品は安くても799ドルだったので大きな注目を集め、発売から半年で累計出荷台数が15万台を突破する大ヒット商品になりました。その後、レーザープリンターを自社開発し、94年に発売し、翌95年には小型で多機能なレーザー複合機を発売しました。いずれの製品もスモールオフィスやホームオフィス(SOHO)にターゲットを絞って企画・開発・マーケティング活動をしたことにより、SOHO市場で受け入れられ、売り上げは重箱を積むように伸びていきました。私が渡米した当初、100億円にも満たなかったアメリカの売り上げが90年代後半には1,000億円を超えていきました。結局アメリカには23年半駐在しましたが、商品企画や販売マーケティングに加え、サプライチェーンの構築、IT、カスタマーサービスなど、会社のあらゆる機能に関わる経験をできたことは、その後の会社人生で大いに役立ちました。
 2005年に日本への帰国を命じられ、その後、2007年にブラザー工業の社長に就任しましたが、社長就任の1年後には、リーマンショックが世界を襲いました。自動車やコンピューター、プリンターなどの各メーカーは一斉に減産体制をとりました。しかし、私はリーマンショックの10年近く前からアメリカの量販店からお客様への販売データを入手し、販売動向を分析する仕組みを構築していたため、リーマンショック後もプリンターや複合機などの需要が落ちていないことを把握することができており、減産はせず生産を継続するように指示しました。データをもとに正しい判断をすることができたことにより、世間では大騒ぎでしたが、ブラザーグループでは、リーマンショックを逆風でなく、順風にすることができたのです。

心がけていることは
 私は、「明るく楽しく元気に」「人とのつながりを大切にする」「常に何事にも好奇心を持つ」の三つをビジネスでのモットーに掲げています。会社の規模が大きくなり、社長、会長と立場は変わっても人とのつながりは大切ですし、むしろその重要性は増すものだと考えています。社員向けの「テリーの徒然日記」というブログは、社長の日常を開示することで、社長をより身近な存在に思ってほしいと思ってはじめました。テリーは私のアメリカ時代のニックネームで、好きだったプロレスラーの「テリー・ファンク」から名前を頂戴しました。2005年に始めて現在まで連載を続けており、記事数は1,200近くに達しています。

座右の銘は
 「鶏口となるも牛後となるなかれ」でずっとやってきました。常にリーダーシップを発揮して、ひとりでも多くの人たちがやる気をもって幸せに働ける環境づくりを意識してきました。社長として11年、会長として5年の間、運よく大きな減収減益となることもなく、大きなリストラは経験していません。常に前向きに、持続的な成長を目指してやってきたことで、神様がほほ笑んでくれたのだと思っています。

小池さんの趣味は
 趣味はいろいろありますが、年をとった時に足腰が弱って人に迷惑をかけてはいけないと思い、ハイキングやゴルフなどで歩くことを心掛けています。また、最近は特にメジャーリーグを見るのが楽しみです。さらに、城郭巡りや歴史探訪も好きですし、家では時代劇チャンネルで昔の時代劇をよく見ています。

滝学園の在校生、卒業生に助言がありましたら
 最近の学生は頭がいいと思います。そのため、安心安全を考える傾向が強くなっていると思います。若いうちからそんなことを考えていたら人生を楽しむことができないと思っています。リスクを恐れず、波乱万丈の人生を歩むのも大いにありだと思います。さらに、グローバルに活躍する人が減っているようで残念です。ひ弱で大切にされた日本人だけではグローバル競争に勝てるとは思えません。皆さんには若さを生かしてグローバルにはばたく気概を持ってほしいです。
 1981年に何の勝算もないまま渡米しましたが、必死にもがいていたら運命の神様が味方して、今この場にいます。人生何が起こるか分かりません。何事にも関心を持ち、チャレンジして、くじけずやり抜く気概をもってすすめば、その先には必ず明るい未来が待っています。

[プロフィール]
小池 利和(こいけ としかず)
ブラザー工業株式会社 取締役会長


1955年10月 愛知県一宮市生まれ
1979年3月  早稲田大学政治経済学部経済学科卒業
1979年4月  ブラザー工業株式会社に入社
1982年8月  ブラザーインターナショナルコーポレーション(U.S.A.)出向
1992年10月 ブラザーインターナショナルコーポレーション(U.S.A.)取締役
2000年1月  ブラザーインターナショナルコーポレーション(U.S.A.)取締役社長
2004年6月  ブラザー工業株式会社 取締役
2005年1月  ブラザーインターナショナルコーポレーション(U.S.A.)取締役会長
2005年4月 ブラザー工業株式会社 取締役常務執行役員
2006年4月  ブラザー工業株式会社 取締役専務執行役員
2006年6月  ブラザー工業株式会社 代表取締役専務執行役員
2007年6月  ブラザー工業株式会社 代表取締役社長
2018年6月  ブラザー工業株式会社 代表取締役会長
2022年6月  ブラザー工業株式会社 取締役会長

★著書
「「解(かい)」は己(おのれ)の中にあり 「ブラザー小池利和」の経営哲学60」
著者:高井尚之   出版社: 講談社
単行本 ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4-06217-534-0
Kindle版(電子書籍) ASIN ‏ : ‎ B009I7KNZI

「紙つぶて」
著者:小池利和 発行元:ブラザー工業㈱CSR & コミュニケーション部

「テリーの徒然日記」
著者:小池利和 発行元:ブラザー工業㈱CSR & コミュニケーション部

※プロフィールは、取材日(2023年4月21日)時点の内容を記載しています。

ブラザーミュージアムにて:小池会長と大西同窓会長