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滝学園同窓会オフィシャルサイト

活躍する同窓生に学ぶ:牧野武彦氏(大縣神社 宮司)


「神職として地域のため人事を尽くす」


大縣神社 宮司 牧野武彦(昭和38年卒)

大縣神社オフィシャルサイトhttp://ooagata.urdr.weblife.me/

滝学園時代、どんな生徒でしたか。思い出に残る出来事や事象がありましたら。
 中学校は名古屋の前津中学校に越境入学、自宅のある稲沢から通っていました。 父から、教育熱心な丹羽喜代治先生が校長である滝高校を奨められました。昭和35年、滝高校に入学。普通科は2クラス、ほとんどが滝中学からの生徒で、滝中以外からは10人ほど。当時、普通科生徒は部活動禁止でした。学生時代の思い出というと、部活動に関することが多いと思うのですが、それがないのです。だからといって勉強ばかりしていたわけではなく、唯一記憶に残る思い出があるとしたら、マラソン大会ですね。16キロの距離を走るのですが、参加者は全学年の男子。陸上部、野球部など運動に長ける者も全部いっしょに走り、競います。普通科のほかに商業科が4クラス、農業科が1クラス、それが全学年ですから21クラスの男子生徒が参加。総勢500人ほどの中で、私が高1の時、40位という成績を収めたのです。ゴールの際、校門で同じクラスの女子生徒に拍手で迎えられ、それは誇りに思えた、記憶に残る一瞬でした。

神道の道へと進まれたきっかけは何ですか。また、大学生活はどんなでしたか。
 実家が長年続く稲沢の神社であり、長男である私の進学先は皇学館大学、一択でした。その皇学館大学ですが、戦後、GHQの指導により廃学となった唯一の帝国大学。それが、卒業生の支援、地元伊勢市の応援があって、昭和37年、私立大学として復興した大学です。そういったこともあって、伊勢市民がすごく学生に対し好意的なのです。4年間続けられた家庭教師のバイトもそのおかげです。

大学卒業後は、どんな道のりでしたか。
 卒業後は、奈良県の談山(たんざん)神社に就職しました。藤原鎌足氏ゆかりの由緒ある神社です。なぜそこにしたのかは簡単なことです。談山神社は見習い期間がなく、いきなり権禰宜(ごんねぎ)として採用してくれたからです。他の神社は見習い期間が3年、長いと8年ほどあるのですが、談山神社はなかったのです。ただ、奈良の山深い場所にある神社だったので、2年過ぎたころ、街中の喧騒が恋しくなって、神戸の長田神社に転任しました。どちらの神社の宮司も大学の先輩だったので、話は早かったですね。長田神社で7年目を迎えた頃、大縣神社の溝口宮司から、「君は愛知県出身なんだから、神職としてこの地のために尽くすべきだ」と言われ、当神社に呼ばれました。溝口宮司も大学の先輩です。昭和51年のことですから、それ以来47年こちらで務めているということになります。

由緒ある地元に密着した神社・大縣神社の宮司をされて、思い出の出来事は何ですか。
 大縣神社は、皇室ゆかりのある国弊中社であり、尾張二の宮という社格のある神社です。ちなみに尾張一の宮は真清田神社、三の宮は朝廷と関係の深い熱田神宮です。そういった神社でありながらも、終戦後のGHQの指導もあって、手つかずの状況で、私が来た頃は、社務所なども老朽化激しく、境内もうっそうとしていました。昭和52年の神社造営を皮切りに、境内整備事業を6回執り行いました。1回あたり3億強のお金がかかったのですが、それができたのは、まさしく滝高校の先輩後輩の強いつながりのおかげです。当神社の奉賛会の会長を歴代勤められている社本宮明さんが滝出身であり、協賛社の多くが、滝というつながりの中で得ることができたのです。出身学校の縁・絆など地縁というもののありがたさ、大切さを改めて感じましたし、滝高校同窓生の結束の強さをまざまざと感じ取れました。
 もうひとつ、この大がかりな造営工事の資金が集められた理由があります。それは、大縣神社、本宮山があるこの地が古代からさかえ、崇められてきたという地域の特性です。山からは銅鐸が二つ発見されています。弥生時代、すでにこの地に集落があり、農作が行われていた証です。その後、大和の葛城から丹羽族が移り住み、地元の豪族と一緒になって、この地を発展させました。その丹羽族が本宮山頂上にご祭神大縣大神を祀って2600年がたちます。濃尾平野から日が昇るのは、平野の東端に当たる本宮山からであり、それ故に、本宮山が崇められてきたのです。本宮山から水が湧き出て、田畑を潤し、命をつないでいったのです。この地域の人々の本宮山への畏敬の念が大工事の後押しをしてくれたと思っています。

地域コミュニティーにおける神社の役割とは何ですか。
 山から見て、戌亥(いぬい)の方向にあるのが犬山です。犬山の地名の由来はそこからきているように、この地は本宮山を中心に発展してきました。そういったこの地域の成り立ちをからめて、地域コミュニティーの大切さ、郷土愛の大切さを「犬山学」の講座で皆さんにお話ししています。地域に何か貢献できないかと始めました。話を聞いた参加者は、自分の住む地域の歴史に驚きながらも、関心を持ってくれます。この関心を持つことが大事なのです。そこから、自分の住む地域を好きになり、誇りに思えるようになるのです。地域の人間関係がどんどん希薄になっている今、この講座はどんどんやりたいと思っています。特に子どもたちに聞かせてあげたいです。
 地域の人間関係がどんどん希薄になっている現状を変えるキーワードは、ずばり「祭り」だと思っています。従来、「祭り」は、大なり小なり、神社を核にして行われてきました。人々の自然に対する畏敬を形にしたのが神社であり、その祈りの結晶が「祭り」なのです。地元の小さい氏神様の神社で、「祭り」という名目で、地域のみんなが集まり、コミュニケーションが広がり、つながりが強くなるのです。「祭り」が地域の人々の郷土愛を育み、地域コミュニティーを強化してくれるのです。ここ数年のコロナ禍の影響で、祭り自体をやっていないところが多くあります。祭り復活を強く望みますし、祭りがないところは、新しい祭りを地域の人々で作り上げていってほしいのです。昔から住んでいる人たちはある程度の郷土愛はもっているのですが、新しく加わった人たちが、それを持つには、「祭り」が一番なのです。「神人和楽」という言葉があるように、老若男女問わず、神も人も和み楽しめるのが「祭り」なのです。
 
牧野さんの趣味は。最もはまっていることは。
 趣味は読書ですね。読む本が偏っていて、歴史に関する書が多く、特に司馬遼太郎が好きです。司馬遼太郎の書というのは、史実をしっかり調べ、それに基づいた内容が実におもしろいのです。歴史と深くかかわる私の職業柄もあるのでしょうね。
あとは、盆栽です。それもサツキの盆栽。こちらに来て地元の人に教えてもらったのが縁で始めたのですが、一時期は200鉢ぐらい育てていましたし、展覧会に出品していました。ひと手間、ちょっとした工夫で樹姿が整い、きれいな花を咲かせる。荒木から美木に育てる、そんなところが楽しいのです。

座右の銘は。
「人事を尽くして天命を待つ」です。
これと思ったら、結果は考えずに、がむしゃらにやる。
神職の立場で言うと「至誠天に通ず」。何かに取り組むとき、真心をもって事に当たれば、天の神様が認めてくれ、必ず良い結果をもたらしてくれる、というものです。大縣神社に来て以来、御神徳発揚の為に一所懸命やってきました。後先考えず。それを神様が認めてくれたのだと思っています。

滝学園の後輩たちに伝えたいことはありますか。
 滝学園の在校生の皆さんは、皆、優秀な方ばかりです。ですから、自分の進んでいく道で大いなる足跡を残すことは間違いありません。滝学園卒を誇りに思い、滝学園卒というステータスを高めてほしいですね。是非、自分の進んだ道で人事を尽くしてください。結果は神様が導いてくれます。

[プロフィール]
牧野武彦(まきのたけひこ)
旧國幣中社 尾張國二宮 大縣神社宮司

1944年11月 愛知県稲沢市生
1963年 滝高等学校普通科卒業
1967年 皇學館大学文学部卒業
 ~談山神社(奈良)、長田神社(神戸)を経て
1976年 大縣神社赴任
1997年 大縣神社宮司を拝命

愛知県神社庁長、神社本庁理事等を歴任
愛知県神社庁顧問(現任)
皇學館大学理事(現任)
伊勢神宮崇敬会理事(現任)
神社本庁評議員(現任)

※プロフィールは、取材日(2023年7月31日)時点の内容を記載しています。

大縣神社境内にて:大西同窓会長と牧野武彦宮司