「あなたの努力は必ず誰かが見ていてくれる」~はかる技術で人と地球にやさしい明日をつくる~
愛知時計電機株式会社
代表取締役社長
國島 賢治(昭和57年卒業)
愛知時計電機株式会社
https://www.aichitokei.co.jp/
愛知時計電機株式会社の歴史は、1898年(明治31年)に愛知時計製造株式会社が設立され始まりました。当初は機械式時計メーカーとしてスタートし、今では水道・ガスメーターの流体計測機器、様々な計測機器やセンサー・システムのメーカーとして、日本をはじめ世界の社会インフラを支える老舗企業です。今回は、愛知時計電機で代表取締役社長の國島賢治さんにお話を伺います。
滝学園時代、どんな生徒でしたか。強く印象に残る先生や出来事などありましたら。
滝学園には、高校から入った、いわゆる「外普」でした。ですから、1年生時は、滝中学校からあがってきた「内普」のレベルに追いつかないといけないと、必死に勉強しました。思い出に残っている先生は日本史の青山俶久先生と数学の野田明彦先生です。青山先生は、赤点だった日本史の試験を、まあいいだろうと、救ってくれた優しい先生として、野田先生は、夜の補習授業で数学の指導を受け、数学に多少自信が得られた恩人の先生として強く記憶に残っています。野田先生のお陰で、文系の大学志望だったのですが、数学で受けられるところに絞って受験をしようと方向性を絞れたのです。数学で点が取れるという自信が持てたことは大きかったですね。
部活にはどこにも入っていなくて、学園生活での思い出はほぼ勉強と友人関係ですね。ただ、学校の行事には、体育祭とか文化祭ですが、参加はしていました。実行委員として積極的にしていたわけではありませんが。体育祭で記憶にあるのは、龍の張りぼてを作ったのですが、口から煙を吐かせようと、当日、消火器を噴霧したのです。その粉を吸って、みんな咳込んでしまい、誰がこんなこと考えたんだ、と非難ごうごう。私が考えたのではないことは確かです。文化祭では、舟木一夫が主演した『高校三年生』という映画が上映されたことを覚えています。滝学園がロケ地になっていて、上映中、学園内が出てくると、みんな歓声を上げていましたね。
大学は東京の大学に進まれましたが、その大学に決められた理由はありますか。また、大学時代の学生生活はどうでしたか。
大学受験は、先ほど言ったように、文系私立大学で数学の受験ができる大学に絞りました。日本史、世界史など勉強の量に比例する科目が苦手だったということと数学に自信をもったことによる判断でした。ただ、数学の試験というのは、自分で言うところの“肌感”があうとかあわないがあって、一番行きたかった関西学院大学の数学はまったく肌感があわなく、これは落ちたなと。逆に記念受験で受けた慶応大学の数学はぴったり肌感があって、ほぼできたなと。しかし、小論文がまったくできず、記念受験で終わったのですが。そんな中、受験日の日程的にあったのが、成蹊大学でした。数学の肌感もまあまああって、合格し、入学しました。
大学時代は楽しかったですね。吉祥寺というところに大学があって、その街も大好きでした。入ったテニスサークルが体育会系のような厳しさで練習をするサークルで、怖いOBが来て指導を受ける夏合宿は地獄でしたが、先輩後輩に恵まれ、楽しくやっていました。大学にはもうそのサークルはないのですが、いまだに当時のメンバーとはよく会っています。1年、2年次は教養課程もあって、勉強もしっかりしていましたが、3年からの大学生活はテニスとアルバイト、その明け暮れでした。アルバイトは住んでいた西荻窪のケンタッキーフライドチキンで長く続けました。結構優秀なバイトで、卒業後はうちに来ないかと誘われたほどでした。
どうして、愛知時計電機に入社することになりましたか。
就職先を考えた時、この会社に行きたい、この業種に進みたい、という想いはほぼありませんでした。下宿先に届いた「東海の有力企業」という分厚い冊子の中の数社に、添付されていたはがきを出したぐらいで。その中に、愛知時計電機がありました。東京の会社、名古屋の会社を数社回りはしましたが、当時はプラザ合意後の円高不況、バブルが始まる前で、企業が積極的な採用を行っていませんでした。そんな状況下で、最も早く内定をくれたのが、愛知時計電機だったのです。それが入社のきっかけにはなりましたが、この会社が扱うメーターという商品は取替の需要が多く、これが会社の業績が安定していると、私なりに考えたことも決めた理由です。学徒動員で戦争に行っていた私の父親が、戦時中、軍需工場でもあったこの会社を知っていて、勧めてくれたのも大きかったですね。
愛知時計電機は126年前、時計からスタートした会社で、現在は、水道・ガスメーターを中心とした流体計測機器メーカーです。早稲田大学大隈記念講堂の塔時計は、弊社が手掛けたものです。時計製造で培った精密加工技術をもとに方向転換し、今では、皆さんの自宅についている、水道メーター、ガスメーターのうちどちらかは弊社の製品であるというほどまでのシェアをもっています。水道・ガスメーターには検定満了期間があって、水道メーターは8年ごとに修理か新品にしなければいけない、ガスメーターは10年ごとにそれをしなければいけないと、計量法に定められていて、その更新需要というものが市場的に恵まれた環境を弊社に与えてくれています。
これらのメーターのスマート化(※1)が今や必然となっています。日本は諸外国と比較し、大きく後れをとっています。メーターに無線通信できる装置を組み込み、現場に行かずとも検針ができたり、1時間ごとの使用量データがクラウドに収集され、そこからデータが見られたり、独居老人が毎朝水を使用していたのに、その日は使用しなかったというデータを関係者に送ったりするなど、いろいろなことがデータから読み取れ、それを活用できるものとなっています。漏水などの早期発見ができますし、独居老人の見守りの役目も果たせます。ひと月に1回(水道は2カ月に1回)、検針員が現場まで行って検針しなくてもよくなるため、検針コストが削減でき、お客様の業務効率の向上に貢献しています。プロパンガスでは、ボンベの残量が分かるので、ボンベ配送の効率化が図れるなど、コストの削減にも大いに役立つものです。これらは、企業理念でもあります「人と地球にやさしい明日をつくる」「はかる技術、IoT技術(※2)を融合させ、社会をより良い方向にかえていく」に繋がるものでもあります。
1986年に入社され、2022年に社長に就任されましたが、入社されたときから、いつかこの会社のトップになるんだという気持ちはお持ちでしたか。
そんな気持ちは1ミリもありませんでした。入社以来、人事が長く25年、そのあと、名古屋支店長、東京副支店長、支店長、製造部長、生産本部長と与えられた場所で真面目に足元をしっかりした仕事をしてきたことを、上層部の人たちがきちんと見ていてくれたことが良かったのでしょう。人事であれば、経営者の気持ちも組み入れ、社員のモチベーションもあげられる仕組みを作っていったこと。営業に出たら、お客さまとしっかり向き合い、サービス、製品を理解していただき、売上を拡大していったこと。製造部門にいったら、品質の高いモノづくりを効率的に進めることを現場とじっくり話し合ってきたことを、上の人が見ていてくれたのでしょう。ただ、どうしても言わなければならないことは経営者にもお話させていただきましたので、若干面倒な社員だったかもしれません。私は、がむしゃらに猪突猛進型で働くタイプではなく、社員、現場、お客さま、業者、あらゆる方たちとコミュニケーションをとって進めていくというタイプで、これもこの会社の社風にあったのではと考えています。また、タイミングも良かった。前任の社長との年齢差が適度に開いていたというタイミングがたまたまあったということです。こればかりは、自分の努力の外側にあるものでして、ひとことで言えば、運がよかったのでしょう。
ただ、社長になったらなったで、そのプレッシャーは半端ありません。毎日、どうやったら会社の業績が伸ばせるのか、リスクはどこにあるのか、社長として何を優先に取り組むべきなのか、自問自答しながら業務を行っています。
愛知時計電機が提供している商品群
國島社長の趣味は何でしょう。何か今はまっていることはありますか。
大学時代やっていたテニスは今でもたまにやっていますが、名古屋支店長になってから始めたゴルフですかね。なかなかうまくなりませんが、プライベートでのゴルフが楽しくなっています。気のいい仲間とのゴルフは本当に楽しいです。社長になってからは、すごくいい気分転換になっています。
東京支店に勤務の時は、散歩をよくしていました。自然の中を歩くのではなく、日本橋とか銀座とか、人形町などの街をぶらぶら歩いて、古い和菓子屋、レトロな喫茶店、調理道具屋、雑貨屋などを見つけて楽しんでいました。下町の昔ながらの商店街を歩くのも好きでした。歩くと、意外なものが見えてきて、本当に楽しいんですよ。店や家にあるメーターにもついつい目がいってしまうのは、職業病かもしれません。
座右の銘は。
座右の銘というものはないのですが、中堅クラスの社員によく言っているのは、「しっかり真面目にやっていれば、誰かが見てくれている。手を抜いていても誰かが見ているし、ほめられるかどうかは別として、真面目に仕事に取り組んでいる姿をきちんと見ていてくれている人がいるんだよ」と。続けることが大切で、努力は必ず報われるべきだと思っています。報われないのであれば、自分は正しい努力をしているか、毎日自分に問いかけるべきだと思います。これは、「因果応報の法則」(※3)にも当てはまります。
自分の仕事ぶりをアピールする必要はなく、独善的になってはいけませんが、信念を持って、自分の考え方、やり方で、真正面から取り組んでいってほしい。真摯に取り組んでいる姿は、誰もが認める、人として崇高な姿でもあるからです。
滝学園の在校生、卒業生(20歳代の若手)に対し、何かひとことありましたら。
最近、アジア圏の人たちと会う機会が多いのですが、ほぼ皆さん、息子や娘は今、海外に行って勉強していますよ、と話されます。海外に出て国際感覚を身につけさせたいと考える親はもちろん、その子どもたちも進んで海外に出たいと。海外で勉強し、自国にもどって事業を展開している人は、他の人とは違う視点、グローバルな考えで事業を進められている。そこに、羨ましいほどのたくましさを感じるのです。それから考えると、日本人は実にこぢんまりとしてしまっている。国内の転勤すら嫌で、小さい会社でも良いので、地元で働きたいという若い人が増えているような気がします。このままでは、国際競争力がつかず、生活の向上も各国の水準から劣っていってしまうのではないかとすごく心配しています。実際、台湾やタイでも物価の水準はほぼ日本と同じくらいになっています。
若い人たちに言いたいのは、外に目を向け、外にどんどん出て行ってほしい。海外に出て、広い見分のもと、国際感覚を身につけてほしい。バーチャルでは体験できないことが沢山あります。もっともっと実際の世界を見てほしいのです。
※1.(英:makeing smart, smartification) 情報システムや各種装置に高度な情報処理能力あるいは管理・制御能力を持たせること。
従来のメーターに無線機能を付加することで「遠隔検針」、「遠隔操作」、「遠隔データ収集」を可能としたのがスマートメーター。
※2.(英:Internet of Things)の略。従来インターネットに接続されていなかった様々なモノ(センサー機器、駆動装置(アクチュエーター)、住宅・建物、車、家電製品、電子機器など)が、ネットワークを通じてサーバーやクラウドサービスに接続され、相互に情報交換をする仕組みです。
※3. 仏教用語。仏教の教えに「因果律」があり、すべての行動は、それに応じた結果が生じる。
[プロフィール]
國島 賢治(くにしま けんじ)
愛知時計電機株式会社
代表取締役社長
1963年9月 愛知県生まれ
1986年3月 成蹊大学経済学部卒業
1986年4月 愛知時計電機株式会社入社
2007年6月 広報秘書室長
2008年4月 秘書室長 兼 総務本部副本部長
2009年6月 管理統括本部 総務人事本部長
2010年4月 営業統括本部 名古屋支店長
2012年4月 営業統括本部 東京支店副支店長
2013年6月 執行役員 営業統括本部 東京支店長
2017年6月 執行役員 岡崎工場長 兼 生産本部 ガス機器製造部長
2019年4月 上席執行役員 岡崎工場長 兼 生産本部 ガス機器製造部長
2020年4月 上席執行役員 生産本部長
2020年6月 取締役 上席執行役員 生産本部長
2021年4月 取締役 常務執行役員 生産本部長
2022年4月 代表取締役社長 社長執行役員(現任)
※プロフィールは、取材日(2024年7月2日)時点の内容を記載しています。