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滝学園同窓会オフィシャルサイト

活躍する同窓生に学ぶ:弓削尚子氏(早稲田大学 法学部教授)

活躍する同窓生に学ぶ:弓削尚子氏(早稲田大学 法学部教授)


「価値観は絶対的なものではない、移ろいゆくもの」
~歴史研究を通じて、人間らしさ・その人らしさを考える~

早稲田大学 法学部教授
弓削 尚子(昭和61年卒)

早稲田大学
https://www.waseda.jp/top/

早稲田大学法学部
https://www.waseda.jp/folaw/law/

滝学園時代、どんな生徒でしたか。
 滝は中学からです。中学と高校は、言ってみれば陽と陰、対照的な時代でした。
 中学ではバスケット部がすべてで、練習はハードでしたが、それだけにバスケの友人たちとの関係はとても強く、いつも一緒にいました。好きな音楽や先輩、彼氏(!)の話など、たわいないおしゃべりに花をさかせ、楽しくてたまらない、笑いころげているような毎日が思い出されます。
 高校になると一転し、大学受験モードにフル・スイッチです。文系・世界史のクラスにはバスケの友人はおらず、教室では常に最前列の席を希望するガリ勉女子になりました。友人と楽しくすごしていた電車通学もやめ、片道40分の自転車通学にし、田舎道をもくもくと一人でペダルをふんでいました。ネクラというか、かわいげがないというか、中学の時のような、あどけない明るさはなくなっていたと思います。
 ただ、受験勉強一色というわけではなく、幼少期から続けていたピアノに夢中になった時期でもありました。クラスの友人から先生を紹介してもらい、その先生の魔法のようなレッスンに魅了され、1日2時間ピアノに向かって練習することもざらでした。シューベルトやショパン、ブラームスの世界に逃避し、受験勉強のストレス解消でもありました。学校は英語の宿題が多く、数学の追試もあり、ストレスで押しつぶされることもしばしばでした。そんな高校時代をどうにかまっとうできたのは、行きたい大学に是が非でも合格したいという強い意志があったからだと思います。

お茶の水女子大学に在学中、史学を学ばれましたが、どんなきっかけで史学を専攻されたのでしょうか。また大学時代は、どんな生活でしたか。
 志望校は比較的早くから決めていました。父親から東京の国立大学へ行くようにと至上命令(!)があり、私自身は女子大学で学びたいと思うようになり、お茶の水女子大学一択でした。専攻についてはそれほど積極的な動機はなく、幼いころからクラシックバレエやクラシック音楽が好きだったので、ヨーロッパに関わることをしたいと考え、歴史も好きだし・・・と史学を選びました。
 暗黒の高校時代と打って変わって、東京での学生生活は華やいでいました。当時はバブル経済絶頂期で、家庭教師のアルバイトにも恵まれ、大学の部活でピアノとダンス・バレエの練習に明け暮れ、アルバイト代を貯めてバレエの公演を見に行ったり、語学短期留学も数度経験しました。英語とドイツ語の学習にいそしみ、史学科の友人と読書会をするなどそれなりに勉強もしましたが、学業にしろ、それ以外のことにしろ、自分の世界を広げたい、東京ならそれができる!という思いにあふれていました。都立図書館やドイツ大使館があり、外国人居住者の多い広尾という街の雰囲気が好きで、毎週、イギリス人家庭にお邪魔して英語の個人レッスンを受け、その人脈で外国人のお子さんにピアノを教えるアルバイトもしました。当時は、女子が東京で一人暮らしなんてとんでもない、という時代で、滝の友人も地元志向が強く(今もでしょうか?)、東京に送り出してくれた両親には感謝しています。

いつ頃から、ジェンダー問題について研究しようと考えられましたでしょうか。また、いつ頃から大学教員になろうと考えられましたか。
 当時はまだジェンダーという概念が日本で紹介される前でしたが、お茶大には女性学の授業が開講されており、「これが学問になるのか」と衝撃を受けました。卒論は18世紀、啓蒙主義の時代のユダヤ人女性をテーマにドイツ女性史研究で書きましたが、お茶大でなければこのようなテーマは認められなかったかもしれません。学部を卒業して企業に就職する「フツー」のコースを歩みたくなくて、そのまま大学院に進学しました。研究についても、「フツー」のテーマではなく、従来の歴史学が関心をもってこなかったもの、歴史家という知的男性エリートたちが取り上げてこなかったものに関心をもちました。これがジェンダー史研究へと発展していきます。
 博士課程2年のときに奨学金を受け、ドイツの大学に留学しました。研究で身を立てることができたらいいなと思っていましたが、何の保障もありません。将来は不安でしたが、ドイツの小さな大学都市に身を置き、日々、18世紀、啓蒙主義の時代に書かれた古書を手に取り、歴史研究の最前線に触れる生活はとても充実していました。とはいえ、遊学といいますか、ドイツでは社交ダンスを学び、バレエのレッスンも受け、ピアノを披露し、旅に出かけと、学業以外も存分に楽しみました。このままドイツに残りたいと考えたこともありましたが、結局、帰国してお茶大で博士論文を書き、日本で大学教員として食べていく道を目指しました。

ドイツ留学時代によく訪れた都市ハノーファー。18世紀、ハノーファー選帝侯は同君連合により、イギリス国王となった。2023年10月撮影
ライプニッツハウス

現在、法学部で教鞭をとっていらっしゃいますが、法学部においてジェンダー史を学ぶ意義についてお聞かせください。
 法学部の語学教養系の教員として、ドイツ語やドイツ史、ジェンダー史などを教えています。法律学の先生方と一緒に、「国際社会と法」や、法がもつ限界と可能性について考える「法批判への招待」、ロースクールでは「ジェンダーと法」という授業を担当しています。
 法学も歴史学と同様、男性の知的エリートを担い手とする西洋近代科学の伝統の上にあります。どんなに彼らが優秀であっても(というより優秀であるからこそ)、彼らもまた、「男らしさ」や「女らしさ」といったつくられた社会的枠組みから自由ではありません。たとえば、1789年にフランスで人権宣言が出されますが、これは当然ながら男性がつくったもので、そこには女性の権利という発想はありませんでした。また、セクシュアリティの話になりますが、ドイツの近代刑法は男性同性愛を犯罪とし、1930年代、40年代のナチスの時代には強制収容所へ送られて命を落とす男性が多くいました。「男らしさ」や「女らしさ」という規範によって差別や偏見、抑圧が生まれることもあります。個人の尊厳を重んじ、リーガルマインドを備えた市民になるために、ジェンダー史から多くを学ぶことができると思います。

研究室からの眺め。大隈講堂や早稲田の杜、遠くにはスカイツリーが見える。2024年11月撮影

最近ですと、NHK連続テレビ小説「虎に翼」で、ジェンダー問題が取り上げられ話題になりました。ジェンダーについて知る・学ぶには、どんなことから始めたらいいでしょうか。
 「虎に翼」は稀に見る傑作でした。ジェンダー研究者の論文は、あのドラマにはかなわないと思います。教育・職業上の男女不平等、夫婦別姓、同性愛カップル、アセクシュアル、在日朝鮮人女性の境遇、性暴力など、さまざまなジェンダー・セクシュアリティの問題は、具体的な人間模様が描かれることで、人びとの心を動かし、ともに考え、共感を喚起しうるとあらためて感じました。
 感動的な数々の名シーンから一つ、寅子と弟・直明とのシーンに触れさせてください。
 戦後、男手を失った猪爪家を支えるために、直明が大学進学を断念することを告げると、寅子はきっぱりと「そんなことはしなくていい!」と言い放ちます。日本の家制度は、女性を従属的な地位におとしめ家に縛りましたが、男性にも家長として、稼ぎ手として、家を守る人生を求めてきました。ジェンダーというのは、女性差別のことを考えるだけではありません。「女らしさ」、「男らしさ」という規範が、個々人を苦しめるものであってはならない、誰もが幸せを追求して生きる権利をもつ。そのような思想がジェンダー研究の根底にあります。寅子の一言は、直明を「男らしさ」という社会的な呪縛から解放するものでした。と同時に、当時の従属的な女性像に痛烈な一撃を与えるものでした。
 女性として、男性として、生きづらさを感じたら、あるいは男女という性別二元制に違和感を覚えたら、ジェンダーの扉を開いてみてください。Webサイトにもいろいろな情報はあると思いますが、ジェンダー論の基本をやさしく学べる本がたくさん刊行されています。

執筆、編集、監修した一般読者向けの書籍・歴史マンガ

趣味は、何でしょうか。何か今はまっていることはありますか。
 結婚が遅く、出産も遅かったことから、今も子育ての真っ最中で、なかなか趣味を楽しむ時間はありません。ダンス動画を見て気分転換することは多いです。先日、久しぶりにピアノを弾きましたが、さまざまな思い出が蘇ってきて、こみあげてくるものがありました。

座右の銘は。
 これといってありませんが、歴史家として挙げるならば、現代の価値観は絶対的なものではなく、変わりうるということ。自分を悩ますもの、苦しめるものも、時代が違えば取るに足らないものなのかもしれない、そう考えるようにしています。
 たとえば、「家庭」という概念がありますが、ヨーロッパでは19世紀になってから、日本では明治期に生まれたとされます。子どもは農作業など家計を支える働き手などではなく、学校へ行って公教育を受ける存在である、という考え方も近代的なものです。明治15年ごろでも、二人に一人の子どもしか小学校へ行っていませんでした。女性が家庭にとどまり、良き母・妻・主婦となることが模範とされ、男性は外に出て働き、「家庭性」といったものを奪われてしまうのも、それほど長い歴史はありません。さらにいえば、それはあくまで理想の話であって、人びとの現実の生活がそうであったわけではないのです。
 ・・・そんなことをあれこれ考えると、肩の力がすっと抜ける気がします。

滝学園の在校生、卒業生(二十歳代の若手)に対し、今後の進路を決めていくうえで、さらには、生きていくうえでの助言がありましたら。
 ジェンダー研究は、個々人の「その人らしさ」を尊重するためのものです。その人らしさの尊重というのは、他人の生き方を大切にするだけではなく、自分の生き方も大切にすることです。といっても、自分らしさとは何か、自分のことなのに、わかっているようでわからない・・・。
 医者であった私の父は、私が滝に入って医学部に行くことを望んでいましたが、私は親の反対を押し切って文系に進みました。では何をしたいのか、何ができるのか。院生時代には、「いったい、何をやっているんだか・・・」とため息をつき、「このままどうなっちゃうんだろう」と先が見えませんでした。ただ、東京で一人暮らしをし、ドイツで留学生活を送るなかで、これだけは妥協したくない、自分というものを失いたくない、という思いを抱き、どうにか進んできました。自分らしい生き方・働き方のスタート地点に立てたのは、30代になってからでした。
 自分の気持ちに正直になること、さまざまな世界をのぞくこと、多様な価値観に出会うこと。こうしたことで、自分らしさの輪郭を描くことができるように思います。それは、周りが見えていない自己チューとは違います。
 さまざまな世界へと踏み出す原動力と多様な価値観に向き合う基礎知力を、私は滝で過ごした陰陽こもごもの日々から得たのかもしれません。
 今の滝学園はどうでしょうか。後輩たちにとっても、そのような学び舎であってほしいと切に願っています。

[プロフィール]
弓削 尚子(ゆげ なおこ)
早稲田大学法学部 教授

1968年1月 愛知県生まれ
1986年3月 滝高校卒業
1990年3月 お茶の水女子大学文教育学部史学科卒業
1992年3月 お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修士課程修了
1998年3月 お茶の水女子大学大学院人間文化研究科満期単位取得退学
1998年4月 日本学術振興会特別研究員(PD)~2000年3月
1999年3月 お茶の水女子大学にて博士号(人文科学)取得
2000年4月 早稲田大学法学部 専任講師
2003年4月 東京大学教養学部 非常勤講師~2008年9月
2004年4月 早稲田大学法学部 助教授(准教授)
2007年4月 日本ドイツ学会 理事
2009年4月 早稲田大学法学部 教授(現任)
2016年12月 ジェンダー史学会常任理事~2022年11月
2022年10月 東京大学文学部非常勤講師~2023年3月
2023年6月 日本ドイツ学会 代表理事(現任)
2024年4月 お茶の水女子大学文教育学部 非常勤講師~2024年9月

[所属学協会]
日本ドイツ学会・日本18世紀学会・日本西洋史学会・ジェンダー史学会

[研究分野]
ドイツ史・ジェンダー史

※プロフィールは、取材日(2024年11月3日)時点の内容を記載しています。

★主な著書
『家族・ジェンダーと法』
共著:三木妙子・勝方恵子・岩志知一郎・菊池馨実・弓削尚子・棚村政行
出版社:成文堂(2003年2月)
ISBN-13: 978-4792391140

『啓蒙の世紀と文明観』<世界史リブレット88>
著者:弓削尚子
出版社:山川出版社(2004年6月)
ISBN-13: 978-4634348806

『植物と帝国 : 抹殺された中絶薬とジェンダー』
著者:ロンダ・シービンガー
共訳:小川眞里子・弓削尚子
出版社:工作舎(2007年5月)
ISBN-13: 978-4875024019

『ジェンダー研究/教育の深化のために : 早稲田からの発信』
共編著:小林富久子・村田晶子・弓削尚子
出版社:彩流社(2016年3月)
ISBN-13978-4779121968

『なぜジェンダー教育を大学でおこなうのか : 日本と海外の比較から考える』
共編著:村田晶子・弓削尚子
出版社:青弓社(2017年6月)
ISBN-13: 978-4787234193

『山田わか 生と愛の条件 : ケアと暴力・産み育て・国家』
共著:大友りお・纓坂英子・森脇健介・弓削尚子
出版社:現代書館(2018年2月)
ISBN-13: 978-4768458228
Kindle(2020年12月)

『はじめての西洋ジェンダー史 : 家族史からグローバル・ヒストリーまで』
著者:弓削尚子
出版社:山川出版社(2021年12月)
ISBN-13: 978-4634640955

『ジェンダーのとびらを開こう : 自分らしく生きるために』
共著:村田晶子・森脇健介・矢内琴江・弓削尚子
出版社:大和書房(2022年9月)
ISBN-13: 978-4479393788
Kindle(2022年9月)

『論点・ジェンダー史学』
共編著:山口みどり・弓削尚子・後藤絵美・長志珠絵・石川照子
出版社:ミネルヴァ書房(2023年6月)
ISBN-13: 978-4623093502

『ジェンダード・イノベーションの可能性』
共編著:小川眞里子・鶴田想人・弓削尚子
出版社:明石書店(2024年10月)
ISBN-13: 978-4750357997