
「継続は力なり」
~モノづくりとスポーツで社会貢献~
マルヤス工業株式会社
代表取締役社長
山田 泰一郎(平成5年卒)
マルヤス工業株式会社https://www.maruyasu.co.jp/
FCマルヤス岡崎
https://fc-maruyasu.jp/
協豊会(※1)のメンバーで、自動車部品の開発・製造を中心に冷却系熱交換製品、ブレーキチューブなどを手がけるメーカーのマルヤス工業株式会社の代表取締役社長 山田泰一郎さんにお話を伺います。
滝学園時代、どんな生徒でしたか。強く印象に残る先生や出来事はありますか。がっちりした体型でいらっしゃいますが、クラブ活動は何かされていましたか。
滝学園には高校から入りました。滝中以外から進学した生徒は、入学式の前に1週間の特別授業を受けました。滝中からの生徒に学習度合いを合わせるためのものでしたが、この授業により、大変な学校に入ってしまったなと思ったのを覚えています。実際、入学したら、勉強漬けの毎日。できの良くない生徒でしたから、追試、追試の日々でした。自宅がある名古屋の名東区一社から、自転車、地下鉄、名鉄、自転車と乗り継いだ1時間40分の通学もしんどかった。冬での追試の日は、追試開始の7時半に合わせようとすると、家を出るときは真っ暗で、寒さとともに寂しさがぐっと身に沁みました。
サッカーを小学1年生からやっていたので、高校でもサッカー部に入ろうと思っていましたが、入学前の補習を受け、とても運動部でスポーツやっている場合ではありませんでした。当時、高校から滝に入った2クラス80人ほどだったと思いますが、運動部に入っていたのは5人ほどでした。それだけ、勉強と運動部の両立は厳しかった。勉強ばかりの高校生活には楽しさは感じられなかったのですが、辛かった通学も通学経路の同じ仲間たちと一緒に行けるようになってからは楽しくなりました。そして文化祭が楽しい思い出になっています。
記憶に一番残っている先生は、中村康彦先生ですね。数学の先生で、無茶苦茶怖く、よく手も出ていました。ただ、テストでよい点とると、「よう頑張ってとるな」とすぐ声をかけてくれて褒めてくれる。ですから、文系でしたけど数学はすごく好きになりました。そんな中村先生との思い出のひとつに、北海道に修学旅行に行った際、ホテルの部屋でずっと話をしたことです。話した内容は覚えていませんが、先生との距離がすごく近くなって、より信頼感が増しましたね。修学旅行でどこに行ったかもまったく忘れていますが、そのことだけはしっかり記憶に残っています。
大学時代はどんな学生生活を送られましたか。部活動はされましたか。
大学は日本大学に進み、経済学部産業経営学科で勉強しました。ゆくゆくは会社を継ぐものだということも考え、この学部を選びました。2年から経営管理論のゼミ(※2)に入り、東京ブロック大会や全国のゼミ大会に出られるよう準備、勉強、訓練をまじめにしていました。まず日大の中で代表にならなければいけないのですが、研究成果のプレゼンテーションには、多くの課題が求められるもので、準備が結構大変でした。発表内容の独創性、発想、着眼、考察の深度・論理性、データ収集、その分析の深度などが審査基準にあり、それに加え、発表の仕方が分かりやすい用語を使って、目線・発声も含めて相手にしっかり伝えられるか、それを10分間でするというハードルが無茶苦茶高いものでした。ゼミのテーマは経営管理論で決まっていましたので、それをどのような方向から、どのような視点から考察するのか、それをみなで議論し、それに基づいてデータを集め、きっちりレジュメにまとめる。その作業の一方、話し方、伝え方の訓練をします。私のゼミは、全国大会にも出ていたように、優秀なゼミだったと思いますし、それなりに相当頑張りました。そこで私の中に蓄積された経営管理論は会社の代表になって、大いに役立っています。
あとは、ゴルフとサッカー三昧の大学生活でした。父親から「ゴルフはしっかりやれ。学生のうちにハンディをシングルにしろ。」と言われ、ゴルフサークル(同好会)に入りました。日大のゴルフ部といえば、多くのプロゴルファーを輩出する強豪部でしたが、私の入ったサークルもかなりの猛者がいるところで、学生の競技大会で優秀な成績を収める人も多くいました。ゴルフはお金がかかるので、ゴルフラウンドは北関東の安いゴルフ場に朝早く車で行って2ラウンドしたり、練習は先輩の経営する練習場にて無料でやらせてもらったりしていました。練習の後の球拾いは大前提でしたね。そういった面で助かったのは、プロゴルフトーナメントでのアルバイトですね。バイト代がよく、そのゴルフ場で安くプレーさせてもらえたので、学生ゴルファーにとっては、本当にありがたかったです。
サッカーは平日の夜、遊び程度で大学のサッカー同好会に入って練習していました。高校でサッカーができなかったから、絶対大学ではやろうと決めていました。同好会といえども、大学の体育会サッカー部ではなく、楽しんでサッカーをやりたいという能力高い経験者も多く、関東連盟の大会では優秀な成績をおさめていました。私の場合は、遊びとしてサッカーを楽しんでいました。ゼミ以外はゴルフとサッカー三昧の学生生活だったのは間違いありません。
創業者一族としてお生まれになった山田さんは、事業承継についてはどう考えていましたか。いつ頃跡を継ごうと一番大きな決断をされましたか。
父親から継いでほしいという言葉は一言もありませんでした。1984年に海外拠点を作った父親は現地に連れて行ってくれる機会があり、そこで父親がアメリカ人と対等にやりあっている姿、社内でスピーチしている姿を見て、かっこいいなと思っていました。そんな下地があって、大学では経済学を勉強しようと考えたのでしょう。小学生時代、何になりたいか聞かれたら、パイロットかサッカー選手と答えていました。小学校の卒業文集にも「パイロットになる」と書いていました。そんな自分が父親の背中を見て、父親みたいになりたいと考えていくようになり、自然な形で大学の経済学部に入り、卒業後、会社に入りました。大きな決断をしたという思いはありませんでした。
2013年9月に 3代目社長に就任されましたが、モノづくりの業界に入り、モノづくりをされて、やりがいを感じるときはどんな時でしょう。また、おもしろさを感じたことは。
技術を磨き、新しい知識を学び、試行錯誤、失敗をしながら新製品を作り出し、世の中に送り出す。それをチームとしてチャレンジする。成功し結果が出たときは、モノづくりの楽しさ、おもしろさを強く実感します。他社ができないこと、お客様が困っていること、社会が強く望んでいることを敏感に感じ取って、その問題を解決していく。それができたときは、何にもましてモノづくりのやりがいを感じます。
当社は長年、自動車部品の開発・製造を中心にやってきました。中でも、EGRクーラーは日本でトップシェアを誇っています。これは、燃焼室へともどる還流ガスの冷却を行う装置で、燃費改善に大きく貢献する部品です。2009年、当社が世界で初めてガソリンエンジン用高効率EGRクーラーの量産化を実現したのです。ただ、これら開発したものは、ガソリンエンジンに対応するものです。しかし、今、自動車業界は100年に1度の変革期を迎え、電動化や自動運転などに新しい技術が次々と生まれています。当社もその大きなパラダイムシフトへの対峙を迫られていて、EV向けの部品の開発・製造に注力しています。さらにこの機会をチャンスとしてとらえ、自動車部品開発で長年培ってきた独自のノウハウ、EGRクーラーのコア技術などを活用し、自動車以外に産業用品や家庭用品の分野への進出を強く推進しています。
そのひとつに、太陽熱給湯システムがあります。弊社の強みであるコア技術に熱マネジメント技術があります。その技術をもとに、太陽熱で温水を作って給湯するシステムです。太陽熱を集める集熱器と温水をためる蓄熱ユニットで構成され、「太陽光発電」のエネルギー変換効率が10~20%程度であるのに対し、「太陽熱給湯システム」は約50%で、太陽エネルギーをより効率よく利用できるのです。給湯コストの削減はもちろん、カーボンニュートラルにも貢献する優良製品といえるものです。
こういった新しいことに挑むチャレンジ精神、これはすべての社員が危機感を共有し、何か変わらなければいけないという意識を持ったことで生まれたものです。新たな分野への挑戦は続きます。建築業界であり医療分野であり、我々の持つ技術は様々なところで生かされるはずです。「技術とチームワークで世界に笑顔を」の志を持って、もっと社会に貢献できるために、どんどんチャレンジしていきます。
2025年には本社を名古屋市から岡崎市に変える予定なので、自分の会社だけじゃなくて、岡崎市も盛り上がっていくように地域貢献できる活動をするように考えています。
冷却系製品の例

電気自動車のバッテリの温度を適切な状態に制御して、性能と信頼性を確保するために重要な冷却器です。
(長さ:1160mm)

電気自動車の駆動出力の制御を担う半導体の温度を適切に制御し、信頼性を確保しながら効率を向上させるための
冷却器です。(長さ:160mm)

再循環させる排気ガスの状態(温度・流量)を制御して、燃費の向上と排気ガスの清浄化に貢献するクールドEGRシステムに適用されます。(長さ:250mm)

SDGsの観点から環境にやさしい会社を目指して、カーボンニュートラルに寄与する製品の開発や新技術の導入、環境に配慮したモノづくり、廃棄物の削減など多方面で積極的な取り組みを行っています。
今まで体験されたことで、忘れられないことは何ですか。
忘れられない出来事は、副社長に就任して3年目2013年のこと、株主総会が2週間後という、9月10日に急きょ社長からいきなり「社長にするぞ」と言われたことですね。当時、私は副社長で、いつかは社長になるんだとは思っていましたが、まさかこのタイミングで。この出来事が私の今までの人生で一番びっくりしたことです。言われた本人もびっくりでしたが、株主総会の準備を進めていた担当の部署はもっとあたふたしていました。現社長続投というシナリオのもと準備していたはずで、それがすべて変ったわけですから。その日、その場の瞬間を今でも鮮明に覚えています。社長から言われた私は絶句し、数秒後に「わかりました」と、それしか言えなかった。でも、今考えてみれば、父親が元気なうちにバトンを渡されたことは本当にありがたかった。今になっては、感謝の思いしかありません。
趣味は、何でしょうか。何か今はまっていることはありますか。
走ることが趣味で、トライアスロンの大会にも出ています。毎日、会社に来る前に自宅周辺を走っています。家にはランニングマシンもあるのですが、やはり外を走るのが気持ちいい。年間355日走っています。異業種の会で、同年代の経営者たちがトライアスロンにはまっていて、私もやってみようと思ったのがきっかけです。大会には70歳代の人も多くいて、そういう人たちを見ていると、すごく刺激になります。自分ももっと頑張らなければと思っています。
サッカーチーム・FCマルヤス岡崎の若いプレーヤーからも多くの刺激を受けています。小学校1年からやっていたサッカーには思い入れがあるのはもちろんですが、このチームは私が社長になった2013年の翌シーズンからJFLに加入して戦っているという経緯があって、すごく思い入れがあるのです。企業チームで頑張っている若い人たちと同じ空間にいるということだけで、大きな刺激を受けています。
座右の銘は。
「継続は力なり」。
ジョギング・走ることもそうですが、少しずつ続けていけば力になる。地道に愚直に続けていくことが大切だと思っています。何事においても継続することは大変な努力が必要です。その地道な努力を続けていくことで自分自身の力になるのです。得られる成果が小さなものであっても、コツコツ積み重ねていくことで目標の達成につながるのです。
滝学園の在校生、卒業生(二十歳代の若手)に対し、今後の進路を決めていくうえで、さらには、生きていくうえでの助言がありましたら。
自動車業界でよく言われる言葉に「現地・現物」があります。会社の中で、会議で机上の論をするのではなく、現地へ行き、自分の目で確かめ考えることが大事だということです。ネットで調べれば何でも分かってしまう今の時代だからこそ、データからだけで判断するのではなく、自分自身の目で見て確かめて判断することを心掛けてほしいのです。
友人を大切にしてほしいです。学生時代からの友人もそうですが、今現在、同じ立場の仲間(友人)を大切にしてください。相談できる人はどんなときにも必要であり、そんな人たちがいるかいないかで人生は大きく変わると思っています。悩みを共有することで気分が晴れ、相談することで今後の未来が開かれることは大いにあるからです。
そして、いろいろなことに興味を持ち、チャレンジしていってほしいです。チャレンジしなければ、何も始まらないのです。今からでもどんどんチャレンジしてください。
※1 トヨタ自動車の協力部品メーカーでつくる会。協豊会は、1943年に設立され、トヨタ自動車の創業期からものづくりを支え、今では200社を超える会員会社で構成されています。
協豊会HP https://www.kyohokai.gr.jp/
※2 ゼミとは「Seminar:独語・ゼミナール(=演習)」の略称で、文系の学部に設置されたクラス編成のことです。多くの文系の学生は、2・3~4年生になるとゼミに所属します。ゼミの目的は専門知識を活かして研究することです。また、講義は数十人~数百人規模の大教室で行われる場合がありますが、基本的にゼミは20人以下の少人数で行われます。ゼミは少人数で進められ、学生が主体的に研究テーマを決めた上で、討論などを通して専門的な知識を深めます。討論や発表では、研究成果を論理的に伝える力が磨かれると同時に、自分とは異なる意見にふれることで新たな気づきにつながります。グループワークでは各自が自主的に役割を果たすなかで、チームワークの大切さや、自分の強みに気づいていきます。
[プロフィール]
山田 泰一郎(やまだ たいいちろう)
マルヤス工業株式会社 代表取締役社長
1974年6月 愛知県名古屋市生まれ
1998年3月 日本大学経済学部卒業
1998年4月 マルヤス工業株式会社入社
2001年9月 同社 取締役
2001年9月 トヨタ自動車株式会社 経理部 原価企画室 研修
2003年4月 マルヤス工業株式会社 取締役調達管理本部長
2010年9月 同社 取締役副社長
2013年9月 同社 代表取締役社長(現任)
※プロフィールは、取材日(2024年10月28日)時点の内容を記載しています。