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滝学園同窓会オフィシャルサイト

活躍する同窓生に学ぶ:森 亮介氏(ライフネット生命保険株式会社 代表取締役社長)

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活躍する同窓生に学ぶ:森 亮介氏(ライフネット生命保険株式会社 代表取締役社長)


「反省すれども後悔せず」
~生命保険で一人ひとりの生き方を応援~

ライフネット生命保険株式会社
代表取締役社長
森 亮介(平成14年卒業)

ライフネット生命オフィシャルサイト
https://www.lifenet-seimei.co.jp/

CMでもお馴染みのライフネット生命は、戦後初の独立系生命保険会社。「正直に、わかりやすく、安くて、便利に。」を掲げて、インターネットで生命保険を販売する会社で代表取締役社長をされている森亮介さんに、お話を伺います。

滝学園時代、どんな生徒でしたか。強く印象に残る先生や出来事などありましたら。部活は何かされていましたか。
 滝学園には滝中から進学しました。入学してから夏前にはしっかり学校生活になじんで、楽しんでいる自分がいました。滝中は生徒もみんな適度に真面目で、自由闊達なところもあって、校内の雰囲気がすごく良かったのが自分には合ったのだと思います。
 部活は、軟式テニス部に入りました。勉強はできた方ではなく、定期テストで全科目平均80点以上になると成績優秀者として名前が記載されたプリントが配られるのですが、いつもあと少し届かず、その悔しさをテニスにぶつけていました。
 特に印象に残っている先生は中学校1年の担任だった高瀬裕隆先生ですね。数学の授業中に居眠りする生徒を、おもちゃのピコピコハンマーで起こしていました。怖い見た目とピコピコハンマーのギャップがおもしろくて、よく覚えています。その高瀬先生が今は校長先生だと聞いて、時代の流れの速さを感じています。
 滝高校に進学後は、硬式テニス同好会を立ち上げました。仲間ができ、テニスコートを借りながら、みんなで楽しくやっていました。テニス以外は、大学受験のための勉強一色でしたね。文系クラスで、勉強、勉強、テニスの毎日でした。文系を選んだ理由の一つに、「歯医者は継がない」という父親への反抗がありました。私が人生で唯一、父親に徹底的に反抗したのは、高校1年生のときです。自分の歯科医院を継いでほしいと考えていた父親は当然怒りましたが、私もこの点だけは譲れませんでした。ただ、自分も父親になり会社を経営する立場になって、大人気なく悪いことをしてしまったなと反省しています。

大学は京都大学に進まれましたが、大学、学部を決められた何か理由みたいなものがあるのですか。 それは将来を見据えたものでしたか。
 大学は法学部ありきで考えました。理由は単純です。テレビドラマを見て、私も検察官になりたいと強く思ったからです。ミーハーだった私は、主人公が演じる検察官の姿に心奪われ、自分ならなれるのではないかと思ってしまったのです。
 文系でしたが、数学が得意で、国語が大の苦手だったので、受験において国語と数学の配点が同じ大学を探しました。法学部というのは、東京大学をはじめ、国語の配点が大きいという大学が多く、その中で、京都大学は配点が同じだったのです。一人暮らしをしたいという希望もあって、京都大学一本に絞りました。国語は本当に苦手で、出題者の意図を理解するのが下手でした。文章を読んで、私はこう思ったから、こう答えを書いているのに、どうしてそれが不正解なのか。人によって感じ方、受け取り方が違うから、答えもいろいろあって当然じゃないかと考えてしまうのです。苦手な国語でしたが、なんとか京都大学法学部に無事合格しました。
 大学では、硬式テニスサークルに入りました。ただ、ちょっと思っていたものと違うと感じ、3ヶ月で退部。そのあと、国際法学研究会という国際法のサークルに入りました。サークルとはいっても、模擬裁判のインカレ大会があって、そこで東大、早稲田、慶応などと戦う、真面目でハードな “知的な体育会系”サークルといわれていました。そのインカレ大会で優勝すると世界大会に日本代表として出られるのですが、京大の国際法学研究会は2年に1回のペースで世界大会に出ていたほどの強豪校だったのです。論理構成、法的三段論法、英語など、勉強することばかり。真剣に取り組んでいました。
 アルバイトは、ホテルのバンケットサービスの宴会場スタッフや、宅配寿司のバイクデリバリーをしていました。バイクデリバリーは時給もよかったのですが、地図をもとに配達先を探し出すことがすごく楽しかったのです。スマホなどない時代でしたので、地図書籍で住所から探し出すのですが、宝探しをしている気分でした。
 勉強はというと、司法試験の道は大学1回生で諦めましたが、民法だけは好きで、民法のゼミをとり、ゆくゆくは民法の研究者になりたいと考えていました。そのために大学院に入ろうとその受験勉強もしていましたが、同様に研究者を目指す仲間のレベルの高さに気落ちしてしまい、4回生の夏にはその目標も諦めてしまいました。いざ就職先を考えようとしたら、もう就職活動の時期は終わってしまっていました。留年を決めた後、4回生の冬から就職先を探しました。数字を扱う金融関係がいいかとたくさん受けて、ゴールドマン・サックス証券から内定をいただきました。就職先が決まったこともあって、5回生を半年で卒業。京大法学部の学生は約7割留年すると聞いていたので、留年に関しては恥ずかしいことではないんだと気楽に考えていました。

ゴールドマン・サックス証券では、どんな仕事をされましたか。
 財務アドバイザリー業務を行う投資銀行部門のジュニアバンカー(※1)として、企業のM&Aや資金調達の案件の発掘・実行を担当していました。M&Aでは、業界再編という輝かしい側面がある一方、当事者間による利益の奪い合いも起こります。それでもM&Aが実現すれば、そのあとは両社一緒にやっていかなければいけない。利益を奪い合う交渉の中でお互い禍根を残してはいけないので、間に入るアドバイザーが必要となるのです。当事者同士が直接やり取りするわけにはいかないため、アドバイザーが両社の意見を代弁します。結構忙しかったのですが、楽しく業務に励んでいました。
 しかし、結婚して第1子が生まれたころ、忙しさから家庭と仕事のバランスがとれなくなってしまいました。仕事は楽しかったし、会社には恩義も感じていましたが、家庭を犠牲にしてまで仕事を続けるのは避けたいと考えなおし、ゴールドマン・サックス証券を辞めようと決めました。

どうして現在のライフネット生命保険に転職されたのですか。
 ゴールドマン・サックス証券では生命保険会社を含む金融機関を担当していて、なかでも生命保険事業の特異性に関心がありました。ここまで提供者ロジックが強くて顧客目線がおざなりにされている業界は他になく、人生で2番目に高い買い物といわれているにもかかわらず保険契約者は加入内容をよくわかっていないなんて、なんて特殊な事業なのだろうと思っていました。そのころ、ゴールドマン・サックス証券がライフネット生命の上場のお手伝いをしました。私が直接担当したわけではなかったのですが、隣でやり取りを聞いていて、顧客目線で生命保険を原点に戻すという経営理念をもった保険会社がとても輝いて見えました。
 ライフネット生命に入社した2012年ころから、ずっと順調だった契約業績の成長が鈍化し始め、株価も下がり続けるという事態に。「生命保険は複雑な金融商品だから、やっぱり対面で売らなければいけない」「これからはネットで保険を買う人は増えない」などといわれていました。業績も悪化し、辞める人も出てきた。会社が伸びないとわかったら、またすぐ転職していく。大変な時期でしたが、結果として粘り強く最後まで諦めない人たちが残ったのです。
 契約業績を再び加速しようと、多くの策を講じました。その中でサイト来訪者がPCからスマートフォンにシフトしてきていることに着目した前社長が、事業モデルをすべてスマホファーストに作り変えるという、当時では大掛かりな策を実行したのです。それによって、契約業績は成長軌道に戻りました。

11月に本社移転・千代田区二番町の新オフィス
「元気に、明るく、楽しく」働ける場所というビジョンを反映したものです

2018年、34歳で若くして代表取締役社長に抜擢。森さんにバトンが渡された理由をお伺いします。また、社長として普段心掛けていることは何でしょう。
 我々のお客さまは20~40代の子育て世代が中心。前社長は若くてお客さまに近いリーダーがこれからのライフネット生命をリードしていく必要があると強く思っていたのだろうと感じました。年代的にそのど真ん中にいて、楽観的な性格を重視してくれたのだと思っています。私には「ライフネット生命の事業はもっと拡大するはずだ。」という確信があり、会社の将来については、私は楽観的に考えていました。楽観的というと軽そうですが、売上目標や長期的ビジョンをよりポジティブに考えることができていました。トップが悲観的だと組織は辛いです。当時、役員で一番事業の将来をポジティブに考えていた私に社長のバトンが渡されたのだと思います。
 伝統的な生命保険業界では「保険は一般の商品とは異なる特別な商品であり、“売る”商品だ」と考える傾向にあります。お客さまは自分では手続きできないから、プッシュセールスこそが正義なのだと真剣に思っています。ただ、当社はそうではありません。お客さまが自分から買いに行く、“買う”商品としての保険サービスを提供することが我々の使命だと。創業時に掲げた「正直に、わかりやすく、安くて、便利に。」というライフネットの生命保険マニフェスト(※2)がすべてのベースになっているのです。そのための商品開発、保障内容のブラッシュアップをしてきたのですが、契約業績の成長が鈍化した時期に学んだのは、保険に関するネット上のプロセスすべてにおいて「快適な体験」を提供することこそがオンライン生命保険の真の強みである、ということでした。
 ネットでサービスを提供するフリマアプリがどこに力を入れているか。お客さまが簡単に買える、簡単に手続きができる、それに対しどれだけハードルを下げられるか。ネットサービス業界の基本はその1点であり、そしてそれが競争力になっていきます。当社もネットサービスの会社です。社長に就任した際、「生命保険のインターネット企業」とライフネット生命を定義し直し、「顧客体験の革新」を経営方針の重点領域に定めたのもこの考えからです。ここに投資しなければ私たちの未来はないと心の底から考えています。

趣味は何でしょう。今はまっていることはありますか。
 社長になるまでは無趣味でした。今はまっているのは、お茶(茶道)とサウナです。「だまされたと思ってやってみなよ」と妻に誘われ、半信半疑で始めたのが、今ではとても楽しい趣味の一つになりました。和菓子、茶道具、掛け軸、お花などにも興味がわいてきて、“沼”にはまっています。
 リフレッシュできている実感があるから、はまっているのかもしれません。脳疲労している人の多くは、過去に後悔している人か、未来に不安を抱いている人といわれています。過去、未来ではなく、今に集中すると、脳みそが疲れなくて、疲労物質が流されるそうです。それが、私の場合、茶道だったのです。茶道は集中してやらなければいけない。今に集中できます。
 サウナも同様かもしれません。何も考えずに、頭を空っぽにできるところがいいですね。整ったときは、脳内の疲労物質がすべて流れていった爽快な気分になります。
   
座右の銘は。
 座右の銘というものではないですが、私の軸にずっとある言葉があります。
「反省すれども後悔せず」です。しんどいとき、この言葉を支えに、後悔しないようにもうあと1ミリ頑張ろうと、常に意識しています。経営者として後悔しない意思決定を下せるよう、あらゆる努力を注いでいます。

滝学園の在校生、卒業生(二十代の若手)に対し、今後の進路を決めていくうえで、さらには生きていくうえでの助言がありましたら。
 「ロールモデルエフェクト」が大事だと思っています。ロールモデルエフェクトというのは、たとえばスポーツ界でいうと、スター選手が現れ、活躍すると、その数年後にはもっとすごい選手が出てくるというもの。私もやってみたい、彼、彼女みたいな人になりたいと思う人が多く出てきて、こういった現象が起こるのです。
 ビジネスの世界でも、考え方や行動の規範になる人物をロールモデルとすることがあります。そのロールモデルを目標に設定し努力すれば、自分の向上につながり、組織の活性化にもつながります。これもロールモデルエフェクトです。
 尊敬できる人、立派な人を見つけるために自分の進路を考えることが肝心です。京都大学にもゴールドマン・サックス証券にも尊敬できる方がいて、打ちのめされることも含めてすさまじく影響を受けました。そしてライフネット生命では、創業者である出口治明氏・岩瀬大輔氏を筆頭に素晴らしい仲間にめぐり逢えました。彼らから影響を受け、必死で喰らいついていき、ふと気がついて後ろを振り返るといつのまにか自分の想像よりも高いところまで登れていたということがありました。人との出会いにより、自分の人生をより良い方向にもっていけるのです。そして、自らロールモデルを探す意識もすごく大切です。常に広い視野で、さまざまな世界に飛び込んでいってほしいですね。
 愛知県の人は地元が大好きで県外に出たがらない、と言われていますが、皆さんには、もっと広いフィールドで素晴らしいロールモデルを発見し、夢中になって没頭できる使命を見つけてほしいと思います。

※1 ジュニアバンカー
外資系投資銀行および証券会社の投資銀行部門におけるバンカーは、大別して2種類に分けられます。
収益責任を負うシニアバンカー(マネジング・ディレクター、ディレクター、ヴァイス・プレジデント)と、ジュニアバンカー(アソシエイト、アナリスト)に大別されます。シニアバンカーは案件を獲得してくることが期待され、ジュニアバンカーは案件獲得のための提案資料の作成や調査・分析を担当します。

※2 マニフェスト(英: manifesto)
政党・企業・団体・個人が公表する政策方針、目標、活動方針を明示した文書のこと。声明文・宣言書を意味する。

[プロフィール]
森 亮介(もり りょうすけ)

ライフネット生命保険株式会社 代表取締役社長

1984年3月 愛知県西春日井郡豊山町生まれ
2006年9月 京都大学法学部卒業
2007年4月 ゴールドマン・サックス証券株式会社入社
2012年9月 ライフネット生命保険株式会社入社
2013年5月 同社 企画部長
2016年1月 同社 執行役員 経営戦略本部長
2017年4月 同社 執行役員 営業本部長
2017年6月 同社 取締役 執行役員 営業本部長
2018年6月 同社 代表取締役社長(現任)

※プロフィールは、取材日(2024年8月8日)時点の内容を記載しています。